セルフモニタリングという言葉を調べると、検索結果が少し混乱していることに気づきます。「ストレスに気づくための技法」と説明する記事と、「セルフモニタリングが高い人・低い人」という性格の話をする記事が、同じ顔をして並んでいるのです。
実はこれ、名前が同じだけの、ふたつの別の概念です。この記事では先に交通整理をしてから、主役のほう(技法)について、しんどい場面用の書き出し方と、毎日10秒の軽い実践をまとめます。
ひとつめは、認知行動療法の分野などで使われる意味で、自分の状態——考え、気分、体、行動——を観察して、記録に残すことを指します。目的は反省ではなく「気づき」です。自分にいま何が起きているかが見えていないと、対処のしようがない。だからまず観察から始める、という発想で、ストレスケアの入り口として広く紹介されています。
よく使われる観察の枠は5項目です。
このまま使える「シート」として、たとえば次のように書きます。専用の用紙は要りません。紙でもメモアプリでも、5つの見出しを縦に並べるだけです。
心が大きく動いた場面をこの5項目で書き出すと、「出来事」と「自分の反応」が分かれて見えるようになります。上の例なら、「やり直しを言われた(事実)」と「また自分はダメだ(考え)」は別物だと気づける。頭の中で渦になっていたものが、項目に分かれて並ぶ——それだけで、ずいぶん扱いやすくなります。
ふたつめは、心理学者スナイダーが1970年代に提唱した性格特性の概念です。こちらは「周りの状況に合わせて、自分の振る舞いをどのくらい調整するか」という傾向の高低を指します。高い人は場の期待を読んで器用に合わせるのが得意で、低い人は場面が変わっても一貫して自分のままでいる傾向がある、という記述です。
「高い人・低い人」という検索が多いのはこちらの意味ですが、大事なのは、これは優劣の尺度ではないということです。合わせる力にも、一貫している力にも、それぞれ向いた場面があります。自分の傾向を知る語彙として使うのが健全な付き合い方です。以降この記事では、実践できる①の意味に絞ります。
技法としてのセルフモニタリングの解説は、たいてい「ストレスを感じた場面を5項目で書きましょう」で終わります。これは良い方法ですが、ひとつ正直な問題があります。書く場面を「ストレスを感じたとき」に限ると、記録が偏るのです。しんどい日の記録ばかりがたまり、ふつうの日・調子のいい日のデータがない。すると、あとから見返したときに「自分はいつもしんどい」という偏った絵ができあがります。
かといって、毎日5項目を書くのは重すぎて続きません。そこで現実的なのは、二層に分けることです。
毎日の軽い層は、いつもとの違いに気づくきっかけにもなります。ベースラインがあると、「今週はいつもより低い日が多い」が感覚ではなく記録で見えるからです。週1回の眺め方は振り返りのやり方に、気分の記録の続け方は気分の記録にまとめています。
最後に、線引きをふたつ。ひとつめは、自己観察は濃くやればいいものではないということです。1日に何度も自分の状態をチェックし続けると、観察がいつのまにか自己監視に変わり、考えごとが増える方向に働くことがあります。毎日の層が10秒で終わる形式なのは、手抜きではなく安全装置です。
ふたつめは、おなじみの線です。セルフモニタリングは自分を知るためのセルフケアの道具であって、治療ではありません。つらい状態が長く続いている、生活に支障が出ている——そうしたときは、記録を続けることよりも、医療機関や身近な相談窓口に頼ることを考えてください。そのとき手元の記録は、状態を伝える材料として役に立ちます。
心理学の解説でよく使われる枠は「状況・考え・気分・体の反応・行動」の5項目です。ただし毎回5項目を書くのは負担が大きいので、しんどい場面だけ5項目で深く、ふだんは気分とやったことの2項目だけを毎日軽く、という二層にすると現実的に続きます。
どちらが優れているという話ではありません。高い人は場の期待に合わせて振る舞いを調整するのが得意で、低い人は場面が変わっても一貫して自分のままでいる傾向がある、という性格の違いの記述です。それぞれに向いた場面があり、優劣の尺度ではなく自己理解の語彙として使うのが健全です。
深く関係する言葉です。メタ認知は「自分の考えや気分を一段上から眺める働き」という広い概念で、セルフモニタリング(技法)はそれを実行に移すための具体的な手段——観察して記録に残すこと——にあたります。記録という外部の足場があるほうが、頭の中だけで眺めるより確実です。
気分とやったことをタップで選ぶだけの日記アプリを作りました。毎日のベースラインが10秒でたまり、「散歩があった日は、気分が+0.9」「今週の平均は3.4」のような、あなたのデータの事実が返ってきます。観察は軽く、気づきは記録から。
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